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ナナシノ( )本公演 『二酸化炭素』を観て来ました [その他]

(2019/4/1 追記)
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劇団「Miss女子会」のなかでも、いちばん贔屓にしている(推している)碧乃美月さんが舞台に出る、と知ったのは1月末?2月頭?だったでしょうか?

まだ旗揚げ公演「アイシャドウ」の余韻が冷めやらぬ頃です。

また舞台の美月さん観れる!と、ちょっと浮かれていたものの、しばらくしてフライヤーなどが公開され、どの様な話しなのか徐々に内容を知るにつれ、だんだん不安に...。

「アイシャドウ」の時も書いたけど、「演劇を観る」習慣が全く無い自分が観に行っても大丈夫な内容なのか?

音楽のライブであれば、スタジアムからライブハウスまで観に行ったことはあるので比較的経験はあると自負してますが、こと演劇となると大昔ミュージカルに行ったのと先日の「アイシャドウ」ぐらい。

そしておそらく、明確に完成したストーリーが提供されるのではなく、作者の想いがRAW状態で提示されそうなこの舞台、自分が対応できるんだろうか?

と、そんなこと思いながら観劇当日を迎えました。

以下、批評やレビューなどでは無く、あくまでただの素人が感想をただ単に取り留めなく書き記しただけですので、見当違いな事を書いているかもしれません。その点はご承知おきを。

※あと、このブログはもともとPCで参照するためレイアウトが基本のため、So-netブログサービスの仕様上スマートフォンで参照すると広告だらけの見難い画面になってしまうことをお詫びします。

ナナシノ( )本公演

『二酸化炭素』

公園期間 2019年3月13日~21日

2014年6月。新宿南口の歩道橋で一人の男が反政府を唱い、焼身自殺をしたその日女子高生「いずみ」は強姦を受けた。 いずみの妹「ほのか」は、アイドル活動をしているが、事務所への不満が溜まり、親や友人への相談を禁じられていることへのストレス、金銭面などの理由で追いつめられていた。 ある日、深刻な顔をする母親の口からでたのは、焼身自殺をした男が、小さい頃に母親と離婚した自分達の父親という事だった。

僕は、3/15と3/21千秋楽の二回観て来ました。

結論を先に書いておきます。「観て良かった。しかも二回観て正解だった。もっと観てたら更に違ったかも」でした。

-◇-

中野ウエストサイドスタジオ(当然初めて)は小さな劇場です。文字通り劇場全体を使う演出で、客席の回廊はもちろん、客席に降りる階段すら演出の一部で使われるので、遅れて入ってきたお客さんを一瞬「演者さんか?」と勘違いしたりして。

時々「観客(席)も舞台の一部」みたいなことを聞きますが、場面によってはまさにそんな感じです。

後日、別日に観たMiss女子会のしょっぴぃこと流矢聖子さんが「なるほどこう表現するか」と演出のテクニカルな部分に感心してました。

同じ業界の方が観ても感心する程の演出だったんですね。

役者のみなさんの演技は圧巻・圧倒的。90分の上演時間ぎっしり詰まっていました。

ふと気づいたのですが、PAを通さない生の声が伝わってくるのは迫力が違うな、ということです。
音楽では小さな会場でも(楽器は別にして)歌はPAを通しますからね。

主役の「いずみ」を演じた楠 世蓮(くすのき せれん)さんが、すごかった。

観劇前はできるだけ情報入れない様にしてたこともあり、初見の時は失礼ながら存じ上げなくて、後でいろいろ調べる始末。その世界では有名な方の様で、ファンも多いとのこと。Wikipediaにもページがありました(一般的に著名人のWikipediaの記述内容については賛否ありますが、とはいえ知名度を測る目安にしてしまうことは事実です)。

この役を演じるのは、そうとう消耗しそうだなと。「命を削って」演じる感じ-これまた陳腐な表現だけど間違ってはいないと思う-が凄すぎました。

主要な登場人物に長い台詞があります。いずみは勿論、父親(おさむ)のアジテーションや、美月さん演じる「ほのか」にもあってそれを観てるだけでもすごいなと。購入した台本を読んでもその部分は結構な量で、台詞ではなく文章であれば添削時に「長い!削ってまとめろ!」と言われそうな量を覚える役者さんてやっぱりすごいなあと。

そんな濃厚な舞台だから、初回観た時は圧倒されて、こちらもかなり消耗してしまいました。

-◇-

実は、初見の3/15に観た後に一度ブログの下書きを、ある程度書き上げていたんです。

難しくて何かモヤモヤした感じだけが残って、考えあぐねた結果、いろいろ書いても何もまとまらない、という結論にしたまま、「千秋楽行った時に内容を補強して公開すればいいや」と割り切って、千秋楽を観に行きました。


そして千秋楽を観た後、どうなったかと言うと…「下書きはボツ!」(笑)

どういう訳か、まるで感じ方が違ったんです。

一回観ているのだし、その時台本も買っちゃったし、当然と言いえば当然なんだろうけど、物語の没入度が自分でも驚くぐらい違ったんです。「え?こんなに情報量多くて、こんなに短かったっけ?」。

初見から千秋楽までの約一週間ごちゃごちゃと考え続けたことも大きかったのでしょうか?

(じゃあ一回じゃ解らない話だったのか、作り手に失礼じゃないか!じゃなくて、あくまで僕の処理能力の話です。あとは、観る席の場所も大きかったかと...)

たとえば、最初見た時はテーマ判り難いなと思っていたのに、とんでもない。

いずみを基軸にした、忘れられた存在、忘れられた命、忘れられてゆく命がテーマなのは最初から最後まで一貫していて、しかも、間近にいても「忘れられてしまう」存在や、単に「忘れないこと」は必ずしも幸福に結びつかないことも描かれます。
しかし、それでも「闇の中で光を探し続け」てしまうことが人間だということも。

フライヤーにある「この物語は忘れられている命を思い出す一つの手段に過ぎない」が、当たり前だけどそのとおりでした。

初回観た時は変にディテールへこだわりを持ちすぎたのかもしれません。

まず、年代設定の「2014年6月」。初見後に調べたら、実際の事件をモチーフにしていることを知り、それが実際にも反政府・反戦(当時の集団的自衛権の行使容認に反対する)を唱えていたことを知って、なぜこの事件を題材として選んで、おさむへ落とし込んだのか悩んだり、ほのかの置かれていた状況と結末は、アイドルに関心がある人なら必ず思い出すでああろう現在も進行中の実際の自殺事件を連想させることから、変な方向に余計な解釈を広げてしまっていた様です。

また、ホームレスや薬物も劇中に描かれています。まったく個人的な印象ですが、非常にアイコン的に、シンボリックに描かれている様に感じてしまい、最初に観た時は正直少し残念な気がしていたのも事実です(もっと言ってしまうと、レイプや自殺もアイコン的に)。


しかし、この辺は、千秋楽当日、観劇前に脚本を書いた日野祥太さんのツイートを読んで氷解しました。

あの時抱いた感情が、文字となり、言葉となり、確かにそこに存在するものとなった。 新宿南口陸橋の焼身自殺。 16歳愛媛の農業アイドル自殺。 社会問題。 スルーし続けてはいけない。 これは、 この闇に、光をずっと探し続ける一人の女の子の物語です。


斜に構えた皮肉や暗喩ではなく、ストレートに描きたかったのだなと。

ならば、「アイコン的である」なんて見方はせずに、こちらも主題にフォーカスして素直に取り入れようと。


焼身自殺(未遂)事件は、僕自身完全に忘れていましたが、検索してみて当時騒ぎになったこと、そして事件当日自分もネットで情報を探しアップされた動画を見ていた事を思い出しました。それこそが、この劇の術中にはまって(?)いたのかもしれません。

-◇-

二回を通じて、自分なりに観方が間違って無かったかなと思ってるのは「いずみ」の立ち位置。

主人公の女子高生「いずみ」は、置かれた立場は基本的には受身で、単純で乱暴な言い方をすると、ひたすらまわりの状況に翻弄されてるだけ存在です。

いずみもそうですが、登場人物は劇中に何かが解決するわけでも、救われる訳でもありません。
(ほのかはある意味結末を迎えますが)

レイプされたことをきっかけに、母親ともギクシャクし、恋人「ゆきお」には捨てられ、親友「みゆ」には裏切られた上にみゆ自身は薬物で身を滅ぼし()、いずみは必死に父親の記憶と存在を追い続けても母親の「けいこ」に拒絶され、そして、妹の「ほのか」は自身の置かれていた状況に耐え切れず自殺してしまいます。「けいこ」もメディアスクラムの前に憔悴しきった挙句壊れてしまい...

周りから「置いて行かれる」一方です。

終盤、すがりつくように(レイプした相手の「しょうのすけ」の)愛を求め、受け入れて救われた様にも見えますが、直後、猪突に始まる登場人物全員の見るからに幸せそうな「団欒の場面(いずみの幻想・願望?)」に、それが返って逆のことを強調しているかの様に受け取れました。

そして、団欒が暗転し、そのまま終幕に向かいます。

「ご来場ありがとうございました」と舞台上に役者さん並び、挨拶や案内をしハケてゆく間にも、いずみの言葉が続いているのです。最後はいずみひとりになって暗転、終了です。

まるで、劇中から置いて行かれ、忘れ去られるみたいに。

-◇-

と、書いているうちに、肝心なところがヌケていたことに気付きました。

そもそも、二酸化炭素ってどういうことか?

最初、”二酸化炭素”という単語は、台詞としては誰も言っていないと勘違いしていたのですが、「ほのか」が言ってたじゃないですか!

他に連想させるものを含めると、おさむのアジの中に出てくる『排気ガスが充満する新宿の空気』、終幕でいずみが『あなたから貰ったはずの愛情も、私には吸って吐いた時にでる「毒」。』それと、”二酸化炭素”というタイトルが投影される前のいずみの独白の部分でしょうか。

「ほのか」が言う”二酸化炭素”は、人体が燃焼した結果生じるという二酸化炭素という意味(台詞を再解析するという野暮な行為をお許しください)で、「父親が試みた焼身自殺の様に死んだ方が美しい」という台詞で、ここが直接的に該当するのかなと思いましたが、それだけではなさそうです。

台本では「」(カッコ)付きな様に、二酸化炭素(CO2)自体に毒性はありません。ただ濃度が高くなると人間にも危険な影響が出て最悪の場合死に至ります。

あとは人類の活動によって生じる大量の二酸化炭素が温室効果ガスとして作用し、地球温暖化の一因とされているのはご存知の通り。

言ってみれば、大量に存在してしまい還元や回収がなされないと「毒」になる。

人間が呼吸した結果発生する二酸化炭素に重ね合わせて、その人から発せられる何か-存在や言葉や生きてく上での因果関係-が与える、暗喩としての「毒」になることもある、ということなのかなとも想像します。

-◇-

Miss女子会の伊藤雨音さんは、いずみとりゅうのすけの「あと十回!」「愛してる愛してる愛してる愛してる....愛してる」という場面から、(愛してると口にすることが)如何に大切で、如何に良いシーンだったか力説していましたが、僕は「そこに注目したのか...」と思いました。この様に観た人によって受け取り方や印象に残った場面は異なっても不思議じゃありません。

僕も、まだ他にも印象的な場面や、台詞はあるのですが、書き出すとキリが無いのでこの辺で止めておきましょう。

それに、文章に起こしている内に、まとまったはずの考えのが「果たしたそうだろうか?」と自問自答はじめてしまい、そうなると終わらなくなります。
もしかすると、このまとまらないところ、考え続けてしまうところも作者の日野さんが狙ったところなのかもしれません。

-◇-

「けいこ」の風貌は僕の知る人に似ていてちょっと笑いそうだったし、「みゆ」は女子高生-凄絶な場面-「団欒場面」のギャップに関心(このお二人は面会時間の「ギャップ」にもびっくり)。

申し訳ないけど、「ゆきお」と「りゅうのすけ」は、僕の様なおっさんからは「嫌なヤツ」にしか見えなくて感情移入できないけど、でも、それこそが役を演きったということかも。

そして、「おさむ」「パク」「ロビン」のホームレス三人。風貌がズルい、というのもありますが、舞台上で目を引くこういうことなんでしょうね。

始まる前(開場時間の後半から開演時間までの間。この時間のことを何て言うんでしょうね?)演者さんたちが舞台と客席の回廊を歩き回るのですが、その”雑踏”の中で「おさむ」が「ロビン」にジャケットを渡しているじゃないですか!これ、最初観た時はまったく気付かないか、見ていたとしても記憶に残ってませんでした。このジャケットは劇中でいずみが父親の持ち物だと気付く重要なアイテムです。これに気付いただけでも二回観て良かったなと思ってます。

-◇-

『碧乃美月さんきっかけで観に行ったのだから、いろいろ考えてないで「あおみぃ(美月さんの愛称)カワイイー!!」って言って観てりゃいいんだよ!』

...って、無理に決まってるでしょ(笑)。

だって、彼女は舞台上の人物になりきっていて「あおみぃ」じゃ無くなっているので、自然とそんな浮ついた見方はできなくなります。

美月さんは主人公「いずみ」の妹、アイドルの「ほのか」を演じました。

本人は稽古前から難しい役であることを何度も口にしていましたが、踠きながらも今持っているものを出し切り、十分対応できていたのではないでしょうか。

姉「いずみ」役の世蓮さんとの対比でも、役柄の上でも十分引き立っていたと感じました。

しかし、まだまだ経験の浅い彼女です。この作品に出会い、難しい舞台を最後まで乗り切って「ほのか」を演じきれたことは、美月さんにとっては非常に大きな財産になったのではないかと思います。

所属する劇団の外で経験を積み、それを自分のモノとして吸収した上で持ち帰れば、Miss女子会にも良い方向で作用するはずです。

...と、まあ素人がナニ偉そうに語ってんだって話ですけどネ。

舞台に立つ美月さんを観る前、showroomで「お芝居を中心に活動しています」と話されていた時(以前書いた「だいじょうぶなのか?」の次に)イメージできたのが、実は今回の「ほのか」の様な役です。

一般的なイメージは「萌え」なのかもしれませんが(笑)、個人的には「儚さ」とか「薄幸な」という方向はイメージできたのでした。もちろん、その逆もまた真(例えば一色沙耶みたいな)なのも女優かもしれません。

密かに、まったく感情を出さない様な人物の役も期待してるんです。

美月さんは、数ヶ月前まではshowroomの配信上の人物だったのに、そこから今、自分が小劇場に足を運ぶ様になるなんて考えられなかったことです。エライところまで連れて来てもらった感じがしますね。

-◇-

「忘れていっちゃうんですかねー 妹がいたことも」という、いずみの台詞があります。

これ、演じる世蓮さんの演技に依存する、ちょっと文字だと伝わらない抑揚の台詞で、

最初に観た時は、「そうだよなあ...」論理的にと受け止めただけだったのに、二度目には、それまで(ほのかはもちろん、おさむやロビンやけいこの状況ひっくるめて)ずっと我慢してたのに、涙腺崩壊。

いちばん印象に残る台詞になりました。

(了)



()あくまで劇中の結末を表現したものです。

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